杉浦味淋株式会社

物語
愛櫻ストーリー

杉浦味淋の歩み
(杉浦 嘉信 談)

杉浦定次郎

大正13年に創業者である祖父:杉浦定次郎が現在の地、愛知県碧南市棚尾で個人創業しました。

しかしながら、祖父:杉浦定次郎は、40代の志半ばでこの世を去りました。その息子である私の父:杉浦正彦が4〜5歳の時だったため、私の祖母:杉浦いそが杉浦味淋を引き継ぎました。その後、私の父:杉浦正彦が成人し跡を継いだ頃、大量生産の時代に入ります。

みりんの造り方には2通りあります。1つは、昔ながらの手造りでじっくりと時間をかけ、「もち米」「米こうじ」「米焼酎」の3つだけで造る、味の濃い確かなみりん。
もう1つは、工場の中で時間をかけずに「もち米」「米こうじ」「醸造用アルコールと糖類」を添加した味の薄いみりん。
大量生産の時代には、いかに安く造るかが鍵でした。誰がどのように造ったのか、売る側も買う側も全く気にしない、それでいても造れば造るだけ売れる時代でした。

その後、大手メーカーの安いみりんがシェアを伸ばし、「みりん風調味料」も生まれました。
そんな時代になってからは、大手メーカーではなくみりん蔵で造るような会社は、見る見るうちに姿を消していきました。
杉浦味淋も多分に洩れず、取引先の軒数も販売量もジリ貧になっていきました。私は、「時代は変わった。量では大手メーカーに太刀打ちできない。量より質に会社の方向性を変えなければ潰れてしまう。」そう思うようになりました。

平成15年7月父から、私、杉浦嘉信が経営を務めることになりました。私は、「いよいよ俺の時代だ。」と意気揚々とスタートしました。しかし、ここからが苦難の始まりでした。

経営者になる前とは景色が違い、フタを開ければ会社の内情は倒産寸前、何をどうしたらいいのか全く分からない、苦しくて苦しくてその場から逃げ出したい、家にも会社にも戻らず、よく海を眺めにばかり行っていました。
そんな時でした。ある時、会社を続けるのか辞めるのか心の整理が着かないまま、蔵の2階を片付け始めました。そこで、偶然一つのメモを見つけます。

押し入れに積まれた書類の山の中、鉛筆で書かれた手のひらに乗るほどの小さい紙。100年の時を超え、蔵の中で眠っていた虫食いだらけのメモ。今、僕に会わんとばかりのタイミングで僕の目の前に現れました。書かれていたのは、おじいさんのレシピ。
「なんて贅沢な配合だ!おじいさんはこんなめちゃくちゃ濃いみりんを造っていたんだ!どんな味で、どんな想いでみりんを造っていたんだ?おじいさんのみりんを味わってみたい!」正直、私は看板を下ろそうと考えていたところでした。
しかし、このレシピを手にした今、「おじいさんの想いのこもった愛櫻の看板だけは何がなんでも俺が守ってやる」と思い直しました。

自分の原点は自分で守る。

おじいさんのレシピを復刻させることを決意しました。とはいえ、昔造りのみりんを戻すことは並大抵ではありません。設備や原料のことも心配でしたが、「会社の方向性を変えなければ。それ以上に造り手の想いを伝えなければ」と強く思いました。なけなしの資金で昔ながらの手搾り機を手に入れました。

地元の農家さんには、原料米を直接仕入れたいと交渉しました。三河みりんの一番の肝である、米焼酎もなんとか確保しました。そして、唯一会社で昔造りの経験のある職人さんの記憶と勘だけを頼りに、おじいさんのみりんを造り始めました。
まず、米を蒸し、こうじを育て、みりんの本仕込みをし、半年間じっくり熟成させて搾る。そうして、なんとか出来上がったみりんをそっと口に含んでみました。
「みりんってこんなに甘いんだ。砂糖も入っていないのに、米だけでこんなに甘いんだ。」米だけの甘みに鳥肌が立ちました。

「まさに、これぞおじいさんのみりんだ。」

100年前、何も無かった時代にシンプル、かつ丁寧に造られていたおじいさんのみりんを、今こそ私が伝えて行かなければと強く思いました。
じっくり時間をかけることが、こんなにも楽しくて面白いことなんだと人生で初めて味わうことができました。
こうして、ようやく自信を持って売りたいみりんを造ることができましたが、安いみりんに慣れた人々には全く受け入れられませんでした。
やがて、売れ残ったみりんは熟成が進み、色が濃く黒くなり、業界では未だかつてない色に変わっていました。

「こんな黒いみりん、誰が買うんだい?」と、みんなに笑われましたが、それでも自分の手で造ったみりんだったので、試しに舐めてみました。
すると、「むちゃくちゃ甘いじゃん!ぜんぜん違う甘み。味も濃いし、美味いし、むちゃくちゃ美味しいじゃん!3年経つとこんなに味が違うんだ!」タンクの中で熟成されて生きたこうじが働き、見事なまでの熟成感。こうして奇跡が重なり、三年熟成みりんが生まれました。
三年熟成みりんは、本当の三河みりんの味を私に教えてくれました。でも、それだけではありません。会社の在り方、商売の方向性、誰に何をどう伝えれば良いのか、働くことへの意義、仕事への誇り。今まで考えても考えても全く分からなかった答えが、この三年熟成みりんは私に教えてくれました。
情熱とやる気がふつふつと込み上げ、「これで行くんだ!」と確固たる決意が出来上がりました。

純米本みりん復刻後、3年目に戻ってきたお爺さんの看板

誰からも愛される櫻(桜)のような製品を、と創業者定次郎が命名しました。「この愛櫻だけは引き継ぎたい」という想いでみりん造りを継続しています。